「ジャーナリング」という言葉を最近よく見かけるようになりましたが、私が最初にこの言葉に興味を持ったきっかけは種田山頭火でした。種田山頭火の有名な代表作には、「分け入っても分け入っても青い山」「まっすぐな道でさみしい」「うしろすがたのしぐれてゆくか」などがあります。自由律俳句と言われるもので、季語や字数に縛られない奔放さに学生時代の私は魅入られていました。
自分でも自由律俳句を作っていたのですが、ある日ジャーナリングを紹介した記事に出会うのです。自由律俳句は言ってみれば一行の文学。芸術性を考えるという思考からは逃れられません。ところが、ノートやアプリを使って自分の気持ちを書き出す方法としてのジャーナリングはまさに自由律俳句よりも自由だったのです。この記事では、ジャーナリングの意味や定義を、できるだけわかりやすく整理して解説していきます。
1ジャーナリングの語源
ジャーナリング(journaling)は、英語の「journal(ジャーナル)」を動詞化した言葉です。journalはもともと「日誌」「記録」を意味する単語であり、その語源をたどれば、ジャーナリングと日記(diary)は本来、大きく異なる概念ではありませんでした。どちらも「日々の出来事や思ったことを書き留める行為」という点では共通しているのです。
ところが近年、セルフケアの文脈で語られる「ジャーナリング」は、辞書的な語源とはやや異なる、独自の意味合いを持って使われるようになっています。
2現在よく使われる「ジャーナリング」の定義
現在広く使われている定義では、ジャーナリングは「頭に思い浮かんだ感情や考えを、整理せずに、思いつくままに書き出す行為」を指すことが多いです。書籍などでも、「頭に浮かんだもやもやや、悩み、つらい気持ちをそのまま書き出し、それによって心理的な効果を期待する行為」といった形で定義されるケースが見られます。
ポイントは、あらかじめ内容を組み立ててから書くのではなく、思考の流れに任せて、なりゆきのまま自由に書いていくという点です。個人的には、この「あらかじめ組み立てない」という一点こそが、ジャーナリングという概念が独立して語られるようになった最大の理由ではないかと感じています。単なる記録行為から一歩踏み込み、「感情の排出」に主眼が置かれるようになったからこそ、日記とは別の言葉が必要になったのだと思います。
冒頭で私は山頭火のような自由律俳句を書いていたと言いましたが、実は日課というか一行日記のつもりでやっていました。しかし、一行の俳句に日々の雑感をまとめてるのは、なかなか技量も労力もかかります。そのような経緯から自由律俳句と並行してジャーナリングを取り入れることになったのです。
3日記との違い
ジャーナリングと日記の違いは、主に「書き方」と「目的」の2点に整理できます。
書き方の違いとして、一般的な日記は、頭の中で内容をある程度整理し、読み返したときに意味が通る文章として書かれることが多いとされています。一方でジャーナリングは、文法や文章のまとまりを気にせず、思考をそのまま紙の上に流し出すスタイルが特徴です。文字が乱雑でも、内容が支離滅裂でも、誤字があっても問題ないとされている点は、日記との大きな違いといえるでしょう。
目的の違いとしては、日記が「出来事の記録」に重きを置く傾向があるのに対し、ジャーナリングは「感情の言語化・整理」に重きを置く傾向があります。これは絶対的な線引きというより相対的な傾向の違いですが、実務的にはこの違いを押さえておくと、両者の使い分けがしやすくなります。私自身の感覚としても、日記は「何があったか」を残すもの、ジャーナリングは「何を感じたか」を吐き出すものという整理をすると、腹落ちしやすいように思います。
4なぜ「なりゆきで自由に書く」ことが重視されるのか
ジャーナリングにおいて「自由に書く」ことが重視される背景には、書くこと自体がもたらす心理的な作用があると考えられています。頭の中にある漠然とした不安やイライラは、言語化されないまま抱え込まれると、輪郭がぼやけたまま重くのしかかりやすい傾向があります。それを紙に書き出すことで、感情に輪郭が与えられ、結果として気持ちが軽くなる、という効果が期待されているわけです。
この観点から見ると、「きれいな文章を書こう」という意識は、むしろジャーナリングの効果を妨げる可能性があります。文章を整えようとする意識が働くと、無意識のうちに本音を抑制したり、都合の悪い感情を書かないよう選別してしまったりするためです。ここは私見になりますが、「うまく書けない自分」を許容できるかどうかが、ジャーナリングを継続できるかどうかの分かれ目になりやすいのではないかと感じています。
さて、思い出してください。私が自由律俳句からジャーナリングに移行したワケはまさしく上手く書こうという呪縛から、放たれるためだったとも言えるでしょう。心の底では山頭火さん自由律俳句とはいえ素人には自由には書けまへんで!というキモチだったのでした。
5ジャーナリングの基本ルール
ジャーナリングを実践する上で、一般的に挙げられる基本ルールは以下のようなものです。
- 文章の綺麗さや、文法の正しさを気にしない
- 誰かに見せることを前提とせず、自分だけのために書く
- 考え込まず、手を止めずに書き続ける
- 書く内容が思いつかない場合は、「何も浮かばない」という状態そのものをそのまま書いてよい
- ネガティブな感情だけでなく、嬉しかったことや楽しかったことを書いてもよい
これらのルールに共通しているのは、「書く行為そのもののハードルを、徹底的に下げる」という発想です。何をどう書くべきかというルールを厳格にすればするほど、継続のハードルは上がってしまいます。ジャーナリングが多くの人にとって取り組みやすいとされているのは、こうした「自由度の高さ」が根底にあるからだと考えられます。
6ジャーナリングに期待される効果
ジャーナリングを継続することで期待される効果として、しばしば挙げられるのが「自分の考えや感情を、客観的に見つめ直せるようになる」という点です。感情のただ中にいるときは、自分がなぜそう感じているのかを冷静に把握するのは難しいものですが、書くという行為を通して感情と自分の間に少し距離が生まれ、内省がしやすくなるとされています。
また、書くことによって内面にある感覚や直感が言語化され、それをさらに深掘りしていくことで、自分が大切にしている価値観や、望んでいる方向性が明確になっていく、という効果も指摘されています。これから先どのような選択をしていきたいのか、どのような行動を取るべきなのかを考えるヒントになり得る、という点は、ジャーナリングが単なる感情の発散にとどまらない理由のひとつだと思います。
ただし、これらの効果は誰にでも一律に保証されるものではなく、個人差があることには留意が必要です。あくまで「期待される効果」であり、継続の仕方や取り組む姿勢によって実感の度合いは変わってくるでしょう。
まとめ
ジャーナリングとは、感情や考えを整理せずになりゆきで自由に書き出す行為であり、「感情の言語化・整理」に重きを置く点が日記との違いです。うまく書こうとせず、ひたすら書き続けること。これが最大のポイントです。